グラム・クロスフォードの手記(1)
ヴィクターホロウのあたりを旅しているとき、私に便りが届いた。
妻の容態が悪化したようだ。急がねば……そう思った。
私は、バーダント海を船で渡ることにした。
薬の最後の材料は”テングワシ”と呼ばれる、魔物の羽だ。
海を渡った先の、ルーベの森に生息するという。
さて、船が港に一隻だけ停泊していた。立派な船だ。
船長の名は、レオン・バストラル。
この海で名を馳せる海賊、と聞いたことがあるが……
どういうわけか、商船の船長に鞍替えしたらしい。
一刻を争う私は、出航せんとする彼に乗船を懇願した。
「タダで乗せるわけにはいかねえな」
彼は私を試すように伺っている。まるで、信頼できる人間しか船には乗せない、
と言うかのようだ。
ろくな所持金もなく、私は考えた。そして彼に、自らの手記を差し出した。
「これは私の持ち物で、もっとも価値のある品物だ。
大陸中を旅した記録を記してある。きっと何かの役に立つだろう。
お代には足りないかもしれないが……」
もはや、手記に記すこともない。
ただ私は、妻の元へと急ぐだけだった。
レオン船長は高笑いした後、快く私を招き入れた。
「そんなもんをお代に?なかなか面白いやつだ、気に入ったぜ」
彼の船で海風に吹かれながら、私は妻に想いを馳せていた。
妻の笑みを思い出し、無事を願った。
一刻も早く薬を完成させ、妻の元へ届けねば。
あとすこしだ。どうか、待っていてくれーー。
あの手記の所在を、今は知る由もない。だが、思う。
あの手記を手放してよかったのかもしれないと。
その後の悲劇を、綴ることもなくなったのだから……。
グラム・クロスフォードの手記(2)
私は、絶望していた。
妻が、死んだ。
私の薬は完成していた。だが、僅かに間に合わなかったのだ。
私が訪れる数日前に、妻は息を引き取ったのだという。
3日3晩、私は泣き暮れた。涙で川ができるように思われた。
妻の葬儀の後。
生きる意味を失った私に、1人の女が近づいてきた。
女は、リブラックと名乗った。
「奥様に、もう一度お会いになりたくありませんか?」
魔性の囁きが、私の耳に響いた。
妻にもう一度会えるなら、この命すら惜しくはなかった。
リブラックが言うには、
”フィニスの門”なる生者と死者を通じる門があるらしい。
そこに行けば、妻に会えると。
その門の話は、いつか聞きかじったことがあった。
息子クリスを古くからの知人に頼み、私は南東へと旅立った。
藁にもすがる思いで……。
そんなときだ。
クリアブルックの村で、ある少年と出会った。
少年は、病床で死の淵にいた。
体中が痙攣し、紫色の斑点が出ていた。
すぐにわかった。間違いなく、妻の命を奪った病だった。
私は、運命を感じた。
妻の命に間に合わず、あての無くなった薬が私の鞄に入っていた。
私は迷わず、その薬を少年に使った。
安堵した少年の顔に、妻が重なって見えた。
その安らかな表情に、私は何か許されたような気持ちになったのだ。
「俺も、おじさんみたいになれるかな?」
少年は、私にそう言った。薬師を目指したいと。
望外のお代だった。私の旅にも意味があったと、そう思えた。
残りの薬を置き、私はまた旅に出た。
”フィニスの門”を目指して。
しかしその時、私は知らなかった。
それが、我が最大の過ちになるとは……。
グラム・クロスフォードの手記(3)
ーー私は、間違えた。
ただ、妻を生き返らせたい一心だった。
だからこそ私は、妻を生き返らせる方法があるという
リブラックの口車に乗ってしまった。
門にたどり着いた瞬間、私の背筋は凍りついた。
頭ではなく本能が、その門をーー
いや、その門の向こうにあるモノを拒絶した。
私が息を飲む間に、リブラックは手慣れた動きで魔方陣を床に描いていく。
魔法陣を描いている最中、一度も彼女の手は止まらない。
複雑な魔法陣をそこまで憶えてしまえるほど、
彼女の中では繰り返された行為だったのだろう。
その光景こそが
彼女がこの儀式をどれだけ待ち望んでいたのか、
その執念深さを私に感じさせた。
「これは門を開けるための儀式よ。
少し辛いかもしれないけれど……
奥さんを生き返らせるために耐えてね」
リブラックに言われ、私は魔法陣の中心に立った。
儀式が始まり、最初に感じたのは全身を襲う痛みだった。
そして、自分が内側から膨れ上がっていく未知の感覚。
視界の隅で、自分の手が異形のモノへと変わっていく恐怖感。
そして、変わっていく私を見るリブラックの恍惚の笑みーー
これは門を開けて妻を生き返らせる儀式などではない!
フィニスの門、その向こう側にいるモノ。
それをこの世に蘇らせるーーその器として私を利用したのだ。
この事態を私も予想していない訳ではなかった。
この儀式に必要なのは、大魔術師の系譜である我がクロスフォード家の血であることは、リブラックとの会話から薄々感じていた。だからこそ、
彼女の企みをこの私が阻止する必要があるのだ。
もし、私が彼女の許から逃げれば、今度狙われるのは息子のクリスなのだからだ。
それだけは……それだけは、防がねばならない。
私がリブラックの意図に途中で気付きながら、
最後まで行動を共にしたのはその儀式を見極め、潰すためだったのだ。
だが、この儀式のおぞましさは私の想像を超えるものだった。
私という意識が薄れていく。
別の何者かが私の中へ入ってくる感覚に、必死の思いで抵抗した。
だが、それにとって私……人間の精神など虫を踏み潰すようなものだったのだろう。
私の心が消えていく……闇に飲まれきる寸前、
私の脳裏に映ったのは妻とクリスの笑顔だった。
「----!!」
私は絶叫したーー、のだと思う。
妻の存在が、私に最後の一線で抵抗する力を与えてくれた。
リブラックもまさか私に反撃されるとは思っていなかったのだろう。
そして、私の力は、かつての私よりも遥かに強かった。
私の放った一撃は、彼女に深手を負わせ、
儀式を中断させるに十分だった。
あとは逃げたリブラックを追い、禍根を断てば終わり、
そのはずだった……。そこから先はよく憶えていない。
ただ、私は人でないモノになった、その自覚だけがあった。
ソれから私ハ、各地を放浪した。時折意識を失うト、
周囲には破壊の跡が残っていタ。記憶はナイが、
それを行ったノが自分デアルとは自覚デキた。
ドンドンと意識ヲ失う間隔が短クなっタ。
そのコロには私は追わレルようにナル。
止メテクレ、私はニンゲンダーー!
・・・・・・
~考察~
考察と呼べるものでもないですが、一応読んでみての自分なりの考えを。
フィニスの門で読める手記の中でも唯一の続き物、グラム・クロスフォードという人物の手記ですが、トレサの旅のきっかけとなった手記を書き、アーフェンの「恩人さん」でもある彼は最終的にはリブラックの魔の手にかかり異形のモノへと変異を遂げてしまいました。
じゃあその後彼はどこに行ったの?となるところですが、まあおそらく皆さん想像されてる通りでハンイット編の目的かつラスボスの”赤目”あれがグラムさんなのでしょうね。
ハンイットが赤目と対峙したとき「おかしい、獣の感情は読めるはずなのに全く感情が読めない」みたいなことを言ってた記憶がありますが、あの辺りも芸が細かいなと。